大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)4473号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
二大阪府警察本部の捜査と報道機関に対する発表
被告大阪府の公権力の行使にあたる公務員たる大阪府警察本部警備部外事課職員が、昭和四七年七月一三日から同年八月九日までの間、差押、捜索状の執行及び原告からの反覆供述聴取をもつて、上記一(1)の事実関係から原告につき国家公務員法違反、旅券法違反及び業務上横領の各嫌疑があるものとして捜査をなし、併せて上記一(2)の情報提供の点についても取調を行つたこと、但し、これらの事実に基づき原告が未だ検察官から公訴の提起を受けていないことは、当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、府警本部外事課は、右情報提供の点について、原告からの事情聴取を中心にチエコスロヴアキア大使館員との会合が行われたと目される場所の実地検分も含めかなり執拗な捜査を行つたこと、そして同課の係官は、右捜査の過程において原告が右情報提供の対価として同国大使館員からなにがしかの支払を受けている可能性があり、そうとすれば右が外国為替及び外国貿易管理法(第二七条第一項第二号後段)違反罪に該当するのではないかとの一応の疑いを抱いたもので、現に原告の供述調書の冒頭には「同法違反被疑事件」と表示されているものがあり、かつ、昭和五〇年二月一四日には同法違反被疑事件としての検察官に対する送致がなされていること、しかしそれにもかかわらず、同課において右支払受領の事実を肯認するに足りるなんらの証左も把握するに至らなかつたことが認められる。
しかるところ、府警本部外事課職員が、上記の捜査結果に基づき、昭和四七年八月一〇日被告株式会社毎日をはじめとする多数報道機関の記者に対し、原告につき国家公務員法違反、旅券法違反及び業務上横領の各被疑事実があるほか、原告が企業在勤中に知り得たナイロン、人造皮革に関する高度の科学技術情報をチエコスロヴアキア大使館員に隠密裡に提供するという非行をなした旨を発表したことは、当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、右報道機関に対する発表は、同日午後四時ごろから同府警本部において、まず外事課職員が予め同課内で起草されていた発表文書を朗読し、次に各記者からの質疑とこれに対する応答が続くという形で行われたものであり、その朗読された発表文書の内容は、被告大阪府が弁論内容として陳述しているとおり(事実摘示三(二))であつたことが認められる。右発表の内容において、原告のチエコスロヴアキア大使館員に対する科学技術情報の提供がなんらかの犯罪を構成するというのでなく、要するに捜査の過程で判明した原告の反倫理的ないし反社会的行為であるとなすにとどまつていることは、後の判断に関連するところの重要な事柄である。
三各日刊新聞、とくに毎日新聞の記事掲載
大阪府警本部外事課における捜査過程と同課職員の各報道機関に対する上記昭和四七年八月一〇日発表を受けて、被告株式会社毎日の発行する毎日新聞では同日夕刊、同月一一日朝刊、同月一三日朝刊(「情報戦争、産業スパイ事件の周辺」と題する連載記事(下))、同月一四日朝刊(同連載記事(上))において、朝日新聞、読売新聞、サンケイ新聞等の日刊新聞では同月一一日朝刊において一斉に、いずれも国立大学教授たる原告が企業秘密を外国に提供するといういわゆる「国際スパイ行為」をなしたという記載が掲載されたことは、当事者間に争いがない。
<中略>
四報道機関に対する発表及び新聞掲載記事の内容の不隠当性
(一) さきに認定した事実関係を総合すれば、原告にかかる大阪府警察本部の報道機関に対する発表と毎日新聞の掲載記事との間には、前提となる事実の認識とこれに基づく論理において左記の一致点を認めることができる。
その第一点は、原告のチエコスロヴアキア大使館員に対する産業技術情報の提供が、いわゆる国際産業スパイ行為として反倫理的ないし反社会的なものとされている点である。
第二点は、原告の長女井上道子及び二男井上茂樹がチエコスロヴアキアから同国留学に格別の便宜を受けていることが、原告の産業スパイ行為との間にいまわしい密接な関連性があるという認識である。この点は、府警本部外事課職員が昭和四七年八月一〇日各報道記者の前で朗読した発表文中には明示されていないのであるが、右朗読に続く質疑応答の段階で同課職員が指摘していることは、前認定にかかる毎日新聞の掲載記事のほか、成立につき争いのない甲第七ないし第一一号証により明らかな他の日刊新聞の同月一一日朝刊の掲載記事においても、共通して右の点が触れられていること、その他弁論の全趣旨に徴し容易に推認し得るところである。
第三点は、原告からチエコスロヴアキア大使館員に対する技術情報資料の交付提供が、場所の選択及び方法において隠密裡になされたという認識である。
(二) ところで、右列挙にかかる諸点のうちもつとも重要なのほ、もとより第一点、すなわち、はたして原告が反倫理的ないし反社会的行為と評価さるべきチエコスロヴアキア大使館員への産業技術情報の提供をなしたかどうかであり、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。
原告が、昭和四一年三月ごろから約二年間駐日チエコスロヴアキア大使館員サフラネツクらと親交を保ち、前後数回にわたり同大使館員と公園、喫茶店、ホテル等の場所で出合い、原告の専門分野に属するナイロン、人造皮革等に関する各種の技術情報を記した報告書や資料を同大使館員に交付してやつたことは、当事者間に争いのないところである。しかし、原告の右所為が反倫理的ないし反社会的性格を有するいわゆる産業スパイ行為であつたと断ずるためには、原告の提供にかかる技術情報がなんらかの意味において企業秘密に属し、その漏洩が当該企業に損害を及ぼすべきものであつたことを必要とするといわねばならない。換言すれば、原告の提供した技術情報が企業秘密に属していなかつたのであれば、その情報がいかに高度かつ有用なものであつたにせよ、提供の相手方がかりに外国の諜報機関であつたにせよ、提供の動機ないし縁由を原告の長女、二男の同国留学に結び付けることができるにせよ、はたまたその提供がことさら隠密裡になされたにせよ、原告の所為を非難することが困難なのである。
しかるに、右情報提供にかかる原告の府警本部職員に対する供述を録取した書面は、<証拠>以外に見当らないが、これらにおいて原告が自己の提供した技術情報が企業秘密に属する旨を肯認して述べているあとは全くない。それにもかかわらず、府警本部が昭和四七年八月一〇日報道記者達に対し原告の情報提供行為を非行として発表するに先だち、原告の提供にかかる技術情報がはたして企業秘密に属するかどうかにつき原告からの供述聴取以外なんらかの取調の手段を講じたことの証左はない。そのため、府警本部職員が同年月日報道記者達を前にして朗読した前示の発表文を注意深く読むならば、そこに記載されている技術情報の標目である(1)「タイヤコードに関する日本三社の現状について」、(2)「ナイロンの凝固防止について」、(3)「人造皮革の製造の現状」、(4)「タイヤコードのデイツピング工程」、(5)「韓国の某社が西ドイツのツインマー社から購入したナイロン6の製造プラントの青写真の一部」のいずれをとつても、その提供が何故いわゆる産業スパイ行為になるのか、その結び付きが表現上も瞹眛になつていることがわかるのであり、この点は、毎日新聞の掲載記事においても大同小異であるということができる。
もつとも、<証拠>によれば、府警本部外事課は、報道機関に対する前示発表から数箇月を経た本訴訟の繋属後において、原告がチエコスロヴアキア大使館員に交付した旨現物を同課職員に示して肯認したところの右(5)の青写真に該当する図面につき、ツインマー社の日本における出先機関と購入先である韓国の東洋ナイロン株式会社にあててそれが企業秘密に属するかどうかの照会を試み、前者から右の点を肯認する旨の回答を得ていることが明らかである。しかし、<証拠>によれば、該図面は、ツインマー社から東洋ナイロン株式会社に引き渡された他の多くの資料と総合してようやく意味内容が明らかとなる価値の高い企業秘密を構成し得るものにすぎず、この図面だけでは理解困難で格別企業秘密資料というに足りぬものと認めるに十分である。しかも原告本人は、「実はこの図面を大使館員に交付したことはないのであり、ただ警察官があまりしつこく『図面等を交付したことがあるだろう』と迫るので、やむなく押収されていた書類の中から後日企業秘密の漏洩でないと弁解し易い図面を選んで示したまでである。」と供述しているのであつて、同図面の価値が前認定の程度のものであるとすれば、右の供述を全くの虚偽であると断じ去るのも問題といわねばならない。
以上要するに、原告が企業秘密に属する産業技術情報をチエコスロヴアキア大使館員に提供したことの立証はない。
(三) 原告の長女井上道子が右技術情報の提供よりも数年前から長期にわたりチエコスロヴアキアに留学中であり、二男井上茂樹も右情報提供の後同国に留学するようになつたことは、当事者間に争いがないが、こうした子女の留学の事実から原告による企業秘密漏洩を推測することも、甚だ当を得ぬものである。
<証拠>によれば、原告が昭和三三年ごろ執筆した研究論文がチエコスロヴアキアでも高く評価され、同国の合成樹脂研究組織との交渉が始まり、その意を受けた同国大使館員イリツクが昭和三四年ごろ原告を訪れたことが機縁となつて両者が交際するようになつたこと、そして、当時武蔵野音楽大学に在学中であつた原告の長女道子がイリツクの紹介で来日中のベルナトヴアという同国の女流ピアニストに試奏を聴いてもらい将来性が認められたことから、昭和三六年道子の同国留学が実現し、その後は、同国における同国人学生及び外国人留学生一般の例にならい奨学金で生活が保障され、無償でピアノ及びチエンパロの修業を九年間平隠に継続し、その間帰国しようと思えば帰国することができる自由な身であつたこと、そこで原告としては、同国に対し少なからぬ恩義を感じ、これが上記の産業技術情報提供の大きな動機をなしたことは、これを認めるに十分である。しかし上述の次第で、道子の留学と技術情報提供とが対価関係に立つと認定することは、困難であるし、いわんや原告として娘が人質に取られているような気持を毛頭有していなかつたことはもちろんであり、そうしたことを府警本部職員に述べた事実も、証拠上全く認められない。そそれにもかかわらず府警本部が道子の留学を原告のいわゆる産業スパイ行為の容疑に結び付けて考えた理由は、全く理解に苦しまざるを得ない。
原告本人の供述によれば、原告の二男井上茂樹のチエコスロヴアキア留学は、原告からの上記産業技術情報提供からかなり後の時期に、茂樹が正規の手続を経て受け入れられたことにより実現したものであることが認められるのであつて、これを原告のいわゆる産業スパイ行為の容疑に結び付けて考えることは、一層困難である。
(四) <証拠>によれば、原告は、府警本部外事課の職員に対し、原告が昭和四一年三月ごろ以降二年間チエコスロヴアキア大使館員サフラネツクと接触して同人に各種の産業技術情報を提供した過程を、日時の順を追い場所及びその際の交付資料を特定して遂一供述しているのであつて、その詳細は、被告株式会社毎日が弁論内容として陳述しているとおり(事実摘示四(三)1)であることが認められる。これによれば、要するに原告は、サフラネツクに対しその予め指示した日時及び一回毎に変わる東京又は大阪の場所において、その指示にかかる技術情報資料を交付し、サフラネツクは、これを人目を避けるようにして受け取つたというのである。したがつて、右の点に関する限り府警本部外事課職員が昭和四七年八月一〇日各報道記者を前にして朗読した発表文の内容(事実摘示三(二))は、一応原告の自供に根拠を有するものと認めなければならない。
しかしながら、原告の右自供にあつても、産業技術情報資料の授受をことさら隠密裡に行うように図つたのは、常にもつばら受領者のサフラネツクの側とされているのであつて、原告の側で特にそのように配慮したと認めているわけではない。しかも、何故サフラネツクが隠密裡の授受を図つたのかは、原告の自供においてもあまり明確でない。原告がサフラネツクに対し企業秘密を漏洩したと断じがたいことは、前判示のとおりであるが、はたして同人に交付した資料が企業秘密に属するものでなかつたとするならば、同人がこれをことさら隠密裡に受け取る必要はなかつたわけである。そして原告本人は、「私は、警察からの質問が旅券法違反等の被疑事件とは直接関係のないチエコスロヴアキア大使館員サフラネツクとの接触過程に及ぶのが不本意であつたので、当初多少の作り事もまじえいい加減にあしらつていたが、あまり追及が執拗なので、早く取調から免れようと、取調官に迎合するため前に述べたこととも辻棲を合わせ筋書を自分で作り上げ供述した点が多い。交付した資料の標目も、供述にかかるサフラネツクとの会合の回数に合わせて適宜点数を増して述べている。サフラネツクと会つたという東京での場所も、全部作り事である。大阪では数回彼と会つたが、その場所は、私の方から指示したものであり、資料を交付してから彼と食事を共にしたり公園を歩いたりしたことがあつて、それを資料交付の場所と供述しているところもある。またサフラネツクは、ことさら人目を避けるような方法で資料を受け取つていたわけでない。」という趣旨の供述をしているのであり、この供述を全面的に信用することは妥当でないかもしれないが、捜査段階での原告の自供の方が真実であると断ずることは、一層問題といわざるを得ない。
(五) 以上要するに、原告のチエコスロヴアキア大使館員に対する技術情報提供につき府警本部外事課職員のなした捜査と報道機関に対する捜査結果の発表は、多分に予断と偏見をもつて軽卒になされ、真実の把握からほど遠いものであつたと認めるのが相当であり、更にこれにかなりの紛飾を加えたところの毎日新聞の掲載記事は、興味本位の刺激的な表現をとつているだけに一層不隠当なものであつたといわなければならない。
五被告らの不法行為責任
(一) 被告大阪府
そもそも「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」そしてその「活動は、厳格に」右の「責務の範囲に限られるべきもの」である(警察法第二条)。それ故、警察職員が犯罪捜査の結果を公表することは、常に違法であるとは断じ得ないけれども、いやしくも被疑事件につき犯罪成立の心証を得ない場合にあつては、かりに被疑者の行為につき反倫理性を認めたとしても、これを外部に公表することは、特段の事情がない限り警察の公共安全、秩序維持という本来の使命を逸脱するものとして許されないと解するのが相当である。
しかるに、大阪府警察本部外事課職員が昭和四七年八月一〇日各報道機関の記者達に対してなした発表は、原告のチエコスロヴアキア大使館員に対する技術情報資料の提供に関する限り、該所為の犯罪構成の心証を得ていないことを自認している内容のものといわざるを得ず、すでにこの点において違法性を帯びていると認めなければならない。しかも、その発表が、多分に予断と偏見をもつて軽卒になされ、内容的に真実からほど遠いものであつたことは、前判示のとおりである。被告大阪府は、該事件の捜査中一部報道記者の独自の取材活動によりある程度まで事件内容が知られている気配があつたから、誤つた報道を防止する意味において前示の発表に踏み切つたと主張するのであるが、さきに認定したその発表の内容、並びに、その後の毎日新聞記者の府警本部における取材活動に影響された掲載記事を総合すれば、該発表は、新聞報道を抑制するよりも誘導ないし助長する方向においてなされたものと推認するに十分である。
被告大阪府は、その公権力の行使に当たる公務員たる府警本部外事課職員が、その職務執行上前示の違法な報道機関に対する発表をなしたのであるから、これにより原告が損害を被つたとすれば、国家賠償法第一条第一項によりこれを賠償する責に任ずべきものである。
(二) 被告株式会社毎日
大阪府警本部外事課職員が昭和四七年八月一〇日各報道機関の記者達に対してなした発表が、原告のチエコスロヴアキア大使館員に対する技術情報の提供に関する限り、内容的に真実からほど遠いものであること、当日朗読された発表文にしても、これを注意深く読むならば、そこに掲げられている技術情報の標目のいずれをとつても、これを原告が他に提供したことが何故産業スパイ行為になるのかとの疑問を当然抱くべきものであつたことは、前判示のとおりである。それにもかかわらず被告毎日の記者が右発表を鵜呑みにし、原告の所為をいやしむべき国際産業スパイ行為と位置づけて発表後四日間も執拗に報道し続けたことは、取材上及び編集上報道の正確性保持に関する注意義務を怠つたものとのそしりを免れない。しかもその記事内容は、前認定のとおりであつて、要するに興味本位の刺激的な表現の見出しと根拠があるとは容易に認めがたい臆測に基づく脚色を多分に加えた本文記載を重ねたものと評せざるを得ない。
被告株式会社毎日は、その被用者たる記者が上記の違法な新聞記事を掲載した結果、原告がなんらかの損害を被つたのであれば、当然これを賠償する責に任ずべきものである。
六原告の損害、結論
大阪府警察本部職員の違法な報道機関に対する発表、並びに、これを受けた被告株式会社毎日の発行にかかる毎日新聞の違法な記事掲載の結果、大学教授たる原告がその人格に対する社会的評価(名誉)を傷つけられ、その他多大の精神的損害を被つたであろうことは、当然に推認し得るところである。但し、こうした事態に至つた原因の一つは、原告から府警本部職員に対してなされた供述自体が、原告の所為がいわゆる国際産業スパイ行為にほかならぬとの誤解を招き易いものであつた点にあることも否定するを得ない。
以上の理由により、各被告において原告の名誉を回復するため原告の求める内容にいくらか事案に適合した表現上の変改を加えた謝罪広告をなすべき旨を命じ、右によつても償いがたいと考えられる原告の精神的損害が金六〇万円に相当すると認定し、更に原告の前示過失の点を斟酌して三割の減少を施した金四二万円の慰謝料とこれに対する訴状送達の日の翌日以降の民法所定率による遅延損害金を共同不法行為者たる被告らから原告に対し各自連帯して支払うことを命じた上、原告のその余のマ過マ分で理由がないものと考え、これを棄却することとし、なお、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書を適用し、本判決中原告の請求認容部分についても仮執行の宣言を付することを不相当と考え、原告のこの点の申立を却下することとして、主文のとおり判決する。
(戸根住夫 大谷重臣 新井慶有)